大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和36年(モ)12855号 判決

債権者 冨美子こと若尾冨美子

債務者 四郎こと岩佐陽一郎

主文

当事者間の当庁昭和三六年(ヨ)第三九五九号不動産仮処分申請事件につき、昭和三六年六月二六日当裁判所がなしたる仮処分決定は、これを取り消す。

債権者の本件仮処分申請を却下する。

訴訟費用は、債権者の負担とする。

この判決は、仮に執行することができる。

事実

債権者訴訟代理人は、原決定認可の判決を求め、申請の理由として、

一、債権者は昭和三三年二月五日債務者との間に左記要旨の契約を締結した。

(1)  債権者及び債務者は共同して美術工芸品等の輸出、観光施設並びに料理飲食店等の経営を目的とする日本美術工芸貿易株式会社と称する会社(以下新会社という)を設立すること。

(2)  債務者は新会社設立と同時に新会社が営業上必要な建物を建築する為新会社に対し港区赤坂新坂町九番地の一、一、宅地一六九一坪二合八勺(以下本件土地という)を賃料一ケ月金二〇万円にて賃貸すること。

(3)  新会社が本件土地に建物を建築するに際し、当時本件土地上に存する債務者所有の建物は、これを債務者の指定する場所に移築するものとし、右移築は右建物建築工事の一環として株式会社竹中工務店に施行せしむるものとすること。

二、右(2) の契約は新会社を受益者とする第三者の為にする契約であるところ、新会社は昭和三三年四月一六日設立登記を了し、債権者及び債務者は共に代表取締役に就任した。而して会社設立早々、債権者及び債務者は本件土地につき新会社の建物を建築する場所を協議決定し、且つ債務者はその場所に存在する債務者所有建物の移築をも承諾したので、こゝに新会社は右契約につき受益の意思表示をしたというべきである。

三、そこで債権者は、直ちに債務者の同意のもとに株式会社竹中工務店と建物の建築につき契約を締結し、その設計見積等を完了して建築に着手せんとしたところ、債務者は本件土地上の債務者所有建物の移築に関し、単なる移築の契約であつたに拘らず新築同様の漠大な費用(約九〇〇万円)を要する工事をなすことを要求し、新会社に対し本件土地を引き渡すことを拒み前記契約による新会社の建物の建築は中断するのやむなきに至つた。

四、よつて債権者は前記契約に基き、債務者に対し本件土地を新会社に引き渡すべきことを求める為本案訴訟を提起せんとしているものであるが、債務者は本件土地につき新会社の賃借権登記のないことを奇貨として、近日中にもこれを第三者に売却せんとして目下協議中である。かくては後日本案訴訟で勝訴判決を得ても執行不可能となるので、執行保全の為本件仮処分決定を得たものであり、この決定は現に維持する必要がある。

と述べ、

債務者の抗弁に対し、

一  債務者は債権者債務者間の本件契約はいわゆる第三者の為にする契約ではなく債務者と設立中の新会社または発起人間の契約であると主張するけれども、債権者債務者間に於て本件契約を締結したのは、昭和三三年二月五日であり、新会社の発起人が定まり、定款が作成されたのは同年四月一一日である。即ち、本件契約当時に於ては未だ発起人も設立中の会社としての新会社も存在しなかつたのである。それ故本件に於ては財産引受に関する商法の規定が適用される余地はない。

二  錯誤の抗弁は否認する。なるほど債権者は新会社の事業につき、「資金、経営上の信用、経験、才幹」を提供することを約したのであるが、新会社の事業の為に建築する建物は、株式会社竹中工務店が建築してこれを所有するものとし、新会社はこれを年賦弁済の方法で買い受けることになつていたのであるから、こゝにいう資金とは新会社の当初に於ける流動資金の一部であつて、債務者の言わんとする如き尨大な資金ではないのである。而して債権者は、当時相当の資力、信用を保有しており、且つ財界その他の有力者も多数債権者の事業計画に賛成し、クラブ組織を以て資金的にも援助することを約していたのである。仮に債務者に債権者の身分、性格、資力、信用等につきなんらかの錯誤があつたとしても、かゝる錯誤は動機の錯誤に過ぎない。

三  合意解除の抗弁は否認する。右は全く虚構の主張である。

四  債務者は、新会社は受益の意思表示をしていないし、今後受益の意思表示をすることはあり得ない、また、代表取締役である債務者と本件土地賃貸借契約を締結するについての取締役会の承認はなされていないし、将来なされることも絶対にないから第三者の為にする契約は履行不能だと主張するけれども、債権者は、本件仮処分の本案訴訟に於ては、前記第三者の為にする契約に基いて諾約者である債務者に対し、右契約上の義務の履行として本件土地を新会社に引き渡すべきことを求めるものであるところ、諾約者としての債務者が要約者である債権者に対して有する義務は、新会社の受益の意思表示の有無によつて消長を来すものではない。(大正三年四月二二日大審院判決民録二〇輯三一三頁、昭和三〇年一月三〇日広島高裁決定高裁民集八巻一号二三頁参照)従つて新会社の本件土地賃借権取得に関する取締役会の承認の有無、本件契約の履行の能否等は本件仮処分の許否に影響を及ぼすものではないから債務者の前記主張は主張自体理由がない。尚新会社が既に受益の意思表示をしたことは前述の通りであるし、仮に未だそれがなされていないとしても、新会社は前記契約上の利益を享受することを拒絶した事実はなく、何時でも受益の意思表示をなし得るものである。また、新会社が本件土地の賃借権を取得した(或は取得する)のは前記第三者の為にする契約によつてであつて債務者と新会社との間には商法第二六五条にいわゆる取引は存在しないから、新会社の本件土地賃借権の取得については取締役会の承認を受ける要はない。仮にその要があるとしても、何時でも承認を得られるものである。

五  債務者の六の主張事実は争う。新会社が営業を開始できないのは債務者が約に反して本件土地を引き渡さず、為に新会社の建物が建築できない為であり、債務者の権利濫用の主張は事実である。

六  特別事情に関する主張は争う。債務者主張の事実はむしろ、本件仮処分の必要性があることを立証するものである。本件土地は新会社の事業を遂行する上に不可欠のものでありたやすく他の土地を以て代えることはできないのであつて金銭的補償を以てしては替えられないものである。

と述べた。〈立証省略〉

債務者訴訟代理人は、主文第一、二項と同旨の判決を求め答弁及び抗弁として、

一  債権者主張の事実中一の契約をしたこと及び新会社が債権者主張の日設立され、債権者と債務者が共に代表取締役に就任したことは認めるが右契約は二、三に述べる事由により無効である。新会社の受益の意思表示があつたとの点は否認する。

二  債権者主張の契約は第三者の為にする契約ではない。新会社の設立については、昭和三三年二月五日債権者と債務者が発起人として設立の綱領を定める協定書を作成しており、この協定はいわゆる発起人組合契約或は会社設立の為の設立契約である。而して債権者主張の契約も右協定書の中でなされているものであるから、これは、設立中の新会社または発起人と債務者の間の契約であり、まさしく商法第一六八条第一項第六号の財産引受に該当し、第三者の為にする契約としては成立する余地のないものであつて、右契約が効力を有するか否かは、一にかゝつて、原始定款に所定の記載がなされているか否かにあるのであるが、新会社の原始定款にはかゝる記載がないから右契約は遂に効力を生じなかつたものである。

三  仮に右契約が第三者の為にする契約であるとしても、右契約は債権者が経営上の信用、経験、才幹を提供する外債権者は甲州財閥であり資金はいくらでも出すというので締結したものであり、且そのことは前記協定書にも記載されているものであるところ、後日右は悉く真実に反することが判明した。特に債権者の話では新会社の建物は債権者の信用で株式会社竹中工務店が立替工事をしてくれるとのことであつたが、同会社では債権者を全然相手にしない有様であつた。右の如く右契約には要素の錯誤があるから無効である。

四  仮にそうでないとしても、右のような実情が判明したのでその頃債務者の申入により右契約は合意解除された。

五  以上の主張が認められないとしても、新会社が受益の意思表示をしていないことは前述の通りである上、新会社が代表取締役である債務者から本件土地を賃借するには、取締役会の承認が必要であるところ、今日までかゝる目的の取締役会が招集されたことはなく、今後も新会社が受益の意思表示をなし且つ、債務者が新会社と本件土地賃貸借契約を締結することを承認すること、さような目的の取締役会を招集することは絶対にあり得ない。それ故債権者主張の第三者の為にする契約は履行不能である。

六  また新会社は有名無実の会社であり単に登記簿上存在するだけである。新会社は設立後直ちに休業し未だ一度も営業したことはなく、株主総会も取締役会も一度も開かれていない。賃貸借契約は相互信頼に基くものであるから、今更かゝるいわば実体のない新会社に広大な本件土地を「貸せ」と言うのは権利の濫用である。

七  以上がすべて理由がないとしても、本件土地は希有の名庭園であり債務者はソ連より通商代表部の敷地として所望され、売買交渉中であるから、債務者が保証を立てることを条件に原決定を取り消すべきことを求める。

と述べた。〈立証省略〉

理由

一、昭和三三年二月五日債権者と債務者との間に債権者主張の内容の契約が締結されたこと、同年四月一六日新会社が設立され、債権者と債務者が共に、その代表取締役に就任したことは当事者間に争いがない。

二、債務者は、右契約中「債務者は新会社設立と同時に新会社に対し本件土地を賃料一ケ月金二〇万円で賃貸すること」との条項は、商法所定の財産引受に該当するから債権者主張の如き第三者の為にする契約としては成立する余地のないものである旨主張するけれども、当該契約締結当時既に発起人であつた者が、第三者の為にする契約に名を籍りて財産引受に該当する法律行為をしようとする場合ならば格別、そうでない場合は、契約が財産引受に該当するかどうかの問題と、第三者の為にする契約かどうかの問題は別個に考察しなければならない。成立に争いのない甲第二号証、甲第八号証、乙第五号証によれば、新会社の定款が作成され、債権者が発起人としてそれに署名したのは、昭和三三年四月一一日であるから、当事者間に右契約の締結された同年二月五日当時に於ては、新会社は未だ設立中の会社としても存在しなかつたものであり、その機関としての発起人も未だ存在しなかつたというべきであり、且債権者は右契約締結に当り、発起人たるべきものとしての発起人または発起人組合代表者の肩書を用いず、個人として契約したものであるから、右契約はその当時に於ては一応形式的には債権者主張のような将来成立すべき会社を受益者とする第三者の為にする契約として、成立したものと解する外ない。

三、右契約が商法所定の財産引受に該当するかどうかを案ずるに財産引受とは発起人が設立中の会社の為に会社の成立を条件として、他の発起人、株式引受人または第三者から一定の財産を譲り受けることを約する契約であり、当該契約当時一定の財産の譲り受けを約した者が既に発起人であつた場合は勿論、当該契約締結後発起人となつた場合をも包含するものと解すべきである。

右契約当時債権者は新会社の発起人でなかつたから、本件については財産引受に関する商法の規定が適用される余地がない旨の債権者の主張は当らない。而して本件に於ては、前認定のように右契約後要約者である債権者は、新会社の発起人となり、結局新会社の発起人である債権者が新会社の為に新会社の成立を条件として債務者から本件土地賃借権を取得することを約する契約をしたことに帰するから、新会社に対する関係では右契約は商法所定の財産引受に該当すると言わねばならない。

それで、もとよりその故を以て既に有効に成立した右契約が効力を失うものではないけれども、商法所定の定款への記載がなされない限り、新会社は単に受益の意思表示をしただけでは、右契約に基く権利を取得し得ないことになつたものである。(反面定款に所定の記載がなされると右契約は財産引受として新会社に対して効力を生じ、新会社が更めて受益の意思表示をする要はなくなつたものと考える。)成立に争いのない甲第八号証、乙第五号証(共に新会社の原始定款)には右財産引受に関する記載がないから、新会社は右契約によつては、右契約に基く権利即ち本件土地賃借権を取得することができなくなつたものである。それ故、右により当事者間の第三者の為にする契約が効力を失い債権者仮処分の被保全権利が消滅したと速断し得ないまでも、少くとも、要約者である債権者が本件仮処分を維持する必要性はなくなつたと言わなければならない。

四、また仮に、右契約が財産引受に当らず、第三者の為にする契約として現に効力を有するものであり、債権者主張通り新会社の受益の意思表示がなされたとしても、次に認定する事情に照らせば、同様に本件仮処分の必要性はないものと考える。

即ち成立に争いのない甲第三号証、第八号証、乙第五号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第一号証及び当事者双方本人尋問の結果によれば、新会社の取締役は債権者及び債権者側である鳴海重松、債務者及び債務者側である伊月剛三の四名であり、債権者と債務者は共に代表取締役であつて定款上は共同代表とされていること、(各取締役の任期は既に満了している。)新会社の発行する株式の総数は四万株(五〇〇円株)、発行済株式の総数は一万株であつて、内六〇〇〇株については債務者及び債務者側の者が株主となり、内四〇〇〇株については債権者及び債権者側の者が株主となつていること、債務者は新会社設立後、債権者の資力等に不安を感じ、ひいては債権者と共同して新会社を経営していこうという意思を喪失してしまい、新会社成立後程なく、債権者に対し、新会社による事業の経営をやめようと申し入れる始末であり、当初債権者に対して約していた本件土地上の債務者所有建物の本件土地外への移築、新会社に対する本件土地の引渡を実行せず、その為本件土地上に営業用建物を建築できなくなつた新会社は、会社として成立はしたものの、最初から休業状態であり、今後と雖も活動を開始し得る見込はなく、却つて代表取締役の一人である債務者は新会社を解散したいと考えていること、定款によれば、取締役の選任は発行済株式総数の三分の二を越える株式を有する株主が出席し、その議決権の過半数をもつてこれを行い、累積投票によらないものとする旨定められていることの各事実を認めることができる。

してみると、債権者が仮に本案訴訟で勝訴したとしても新会社の現在の取締役の人的構成にあつては、新会社が債務者からの給付(本件土地引渡)を受領するとは限らないし、前記認定の株主の人的構成及び取締役選任に関する定款の定め並びに商法の関係規定によれば、将来も新会社の取締役の人的構成が、右の場合受領を拒むことが全くなく、却つてすすんで債務者に対して本件土地の引渡を求めるであろうことを予想させるようなものになることはないと認められる。一言にして言えば、新会社は、債権者側の取締役及び株主と債務者側の取締役及び株主が互に協力しない為に、債権者側の意図する方向(本件土地の引渡を受けて当初の計画通り事業を行うこと)にも、債務者側の意図する方向(新会社を解散すること)にも進むことができない状態にあると認められるのである。特に新会社が債権者側の意図する方向に進むことがあり得ないことは、債務者が新会社に対して本件土地を引き渡すことを拒んだ昭和三三年四、五月頃から今日に至るまで、新会社自ら債務者に対し本件土地の引渡を訴求する等の挙に出ていないこと(この事実は弁論の全趣旨により明らかである。)からも充分に窺える。

以上の認定に反する証拠はない。

以上認定の事実は、本件仮処分に於ける債権者の被保全権利には消長を来たすものではないけれども、仮処分の目的は言うまでもなく被保全権利の執行を保全することであり、本件における被保全権利の執行は本件土地を債権者にではなく、新会社に引き渡させることにあるのであるから、その新会社が前認定のように本件土地の引渡を受けることを欲していない以上、当事者間の第三者の為にする契約が未だ履行不能となつていないとしても、少く共その執行を保全する必要性は極めて乏しいものであると言わねばならない。

五、以上の通り本件仮処分申請は、保全の必要性を欠くから原判定を取り消し、債権者の申請を却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 篠清)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例